登山 行蔵のブログ

山登りが趣味のおじさんブロガーです。自分が好きな事、気になった事を発信してます。最近YouTubeも始めました。

宮本武蔵の人生哲学!「五輪書」とは?

外国語にも翻訳されて出版されている「五輪書」を読んでみる

江戸時代初期の大剣豪として有名な宮本武蔵が人生の晩年に集大成として「五輪書」と言う書物を残しています。

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宮本武蔵については今までに数々のドラマや映画、演劇、小説、本などに登場する伝説的人物なので知っている方も多いと思います。

その宮本武蔵が長年の修行よってたどり着いた自身の兵法(戦術・用兵・兵術など戦いの戦略などの心構えを記載した本)の奥義として最晩年に書き残したのが「五輪書」と呼ばれている本になります。

ここでご存知の方も多いとは思いますが、少しだけ宮本武蔵の人物像に触れておきましょう。

 

宮本武蔵の生涯

宮本武蔵(以下 武蔵)の生涯には謎が多く、様々な説があるのですが、生まれは今の岡山県東部あたりから兵庫県南部だったと伝わっています。

 

13歳の頃から命がけの勝負を兵法者(強者)と呼ばれる者たちと繰り広げていたようです。(この時点で凡人ではありませんね😁)

21歳の時に当時の都である京都に行き、そこでも天下の兵法者(強者)たちと勝負を繰り広げていたようです。

 

そしてすべての勝負で勝利しています。 

なかでも足利将軍家の兵法師範(戦・戦術・戦略・剣法などの指導者、一言で言うと戦闘のプロ)である吉岡一門との戦いで勝利した事により、一気に天下にその名が轟く様になります。

その後も諸国を回りながら全国の強者たちと命がけの勝負を繰り広げます。

そして武蔵は20代の最後に佐々木小次郎との勝負をします。

 

有名な巌流島での戦い!

決闘の場所は現在の関門海峡山口県と福岡県の間)にある舟島(のちの巌流島)で、小倉藩(福岡県の一部)の兵法師範(戦闘のプロ)であった佐々木小次郎を一撃で倒します。(様々な言い伝えがあり、武蔵は(戦略的に)わざと戦いの時間に遅刻することより巌流島で武蔵の到着を待っている佐々木小次郎を精神的にイラつかせる事で、普段の実力を発揮できないようにして勝負に勝った)勝つ事にこだわる武蔵らしい。

 

武蔵は佐々木小次郎と戦ったときに29歳になっていましたが、この後はほとんど武芸者とは勝負をしなくなります。

身体能力が人生の中で最も充実した時期にほとんどの勝負をしています。

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これも様々な説があるのですが、武蔵は類稀な剛力(身体能力がずば抜けて高い、特に腕力は超強力だったようです。

記録では身長も高く6尺(約182cm)当時の平均身長は男性で約155cmなので武蔵はかなりの大男であった。

刀では戦いの途中で折れてしまうことがあるので(力が強すぎるのでしょう)、佐々木小次郎との勝負では巨大な木刀のようなもので殴り倒していたようです)

 

この後も諸国(全国)を巡り、59歳の時に肥後熊本の細川家の客分となった武蔵は、以後没するまでこの地で過ごします。

 

62歳の秋ごろから霊厳洞という洞窟で「五輪書」を書き始めます。

約一年後に病に倒れますが、最後まで「五輪書」を書き上げて間もなく64歳で息をひきとります。

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五輪書の「地」の巻

五輪書は兵法を5つの道に分けていて、「地(ち)」「水(すい)」「火(か)」「風(ふう)」「空(ふう)」の5巻として書き表しています。

第1の「地の巻」では、兵法の道のあらましや武蔵の流派の見かた考えかたや、心構えなどまっすぐな道を進む基礎編のようになっています。

 

武蔵の流派は二天一流と呼びます。

二刀流と称するのは、武士は刀を二本携帯していますので、太刀(長い刀)小太刀(短い刀)のどちらの刀でも必ず勝つために、初心者の時から太刀、小太刀の二本を両手に持って鍛錬することで、どんな武器を持っても必ず勝てる精神を身につけなければならないからです。

次に兵法では拍子(タイミング)が重要だと言っています

何事においても拍子(タイミング)はありますが、兵法では特に拍子(タイミング)を大切にします。

(現代の社会でも同じ事が言えますね。人との会話や会社の中のコミニケーション、スポーツ、試験、家庭での出来事、自分が何かを購入する時などタイミングが大切になる事が多い)

 

まずは自分に合う拍子(タイミング)、合わない拍子(タイミング)を見極める。

さらに相手の拍子(タイミング)に逆らう事を知らなくてはならない。(相手のタイミングをずらして自分のタイミングで戦う)

武蔵は言います。戦いにおいては敵の拍子(タイミング)を知ったうえで、敵の予想外の拍子(タイミング)をもって、知略によって目に見えない「空の拍子(タイミング)」を生み出して勝つ。

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五輪書の「水」の巻

第2は「水の巻」である。水は器に合わせてどんな形にも変化するし、一滴のしずくから大河にもなり大海にもなる。そんな水のような清らかな心で書かれたのが水の巻である。つまりは形にこだわるのではなく、戦いにおいては常に「敵を斬る」という思いを持つ。

 

剣の使い方などに凝り固まってはならない。太刀をどう使うにせよ固まるのは「死」につながるので、固まらないよう常に変化することで「生」が生まれる。

現代に置き換えると、今までのやり方にこだわるのではなく、世の中の変化に合わせて新しい考えや行動を上手く取り込みながら自分なりの形を作ってゆくことが生き残る道なのだ。と武蔵は言っているのかもしれません。

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五輪書の「火」の巻

第3は「火の巻」である。この巻には戦いについて書かれている。火は大きくなったり、小さくなったりしながら、すさまじい勢いを持ったりする。

火の巻では、そんな火のようなありようになぞって書かれている。

戦いとは、個人と個人であっても集団の戦いであっても同じ事で、大局を見据えて細心をはらい、よく考えなければならない。

とはいえ大きなところは見えやすいが、小さなところは見えにくいものだ。と言う事は大人数でやる事は急に戦術の転換などはできないため動きを読みやすい。 だが一人の場合はその人の心しだいで、すぐに戦術を変化できるので動きを読みづらい。

 

そのような事を瞬間的に判断しなければならないので、日頃から充分に修練して(練習して)いざと言う時には平常心(冷静に)のぞめるようになる必要がある。これが兵法の極意である。

 

現代に置き換えると、長い人生の中では、難所と呼べる場面が出てくる。(私は登山をするので表現が山登り風になります)難所を超えなければならない場面では、全力を尽くしてこれを乗り越えると言う気持ちが大切であるから、相手の事をよく知ったうえで自分のことも良く知り乗り越えて行く。

相手の方が強くて太刀打ちできないと解ればすぐに撤退するべきである。(登山では生きて帰る事が最重要です)チャンスはまたやってくる。

そのためには普段から準備は常にしておかなければならない。

そして動くと決めた時は勢いも大事だと言っています

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五輪書の「風」の巻

第4は「風の巻」で、風(ふう)と言うのは「むかし風(ふう)」「今どき風(ふう)」「その場所の風(ふう)」「未来の風(ふう)」などと言う「なになに風(ふう)」と言う風の事である。

他を知らなければ、自己を認識することはできないと言う信念のもと書かれている。

 

風の巻では他の流派について言及されている。他の流派では太刀(長い刀)を好むものもあるが、二天一流の兵法では、このような流派を「弱者の兵法」とみなしている。なぜなら兵法の道理も知らずに遠くから太刀の長さによって勝とうとするのは、心の弱さの現れだからである。もちろん短い太刀で勝負すると必ず負ける訳ではないし、長い太刀が向かない状況も必ずある、人によっては長い太刀、短い太刀が合う、合わないもある。

長い太刀がどうとか、短い太刀がどうとかではなく、偏った考え方に固執してしまう事が良くないと言っています。

 

また構えにおいても、構えを重視することは誤りであり、兵法の勝負の道においては決まった形などは無く、いついかなる時でも先手を心がけることを説いています。(先手必勝と同じ意味で、日本では昔から「早起きは三文の徳」と言う表現で表されています。語源は将棋や囲碁では先手が圧倒的に有利な状況である事から来ていますが、後手が必ず負ける訳ではありません)つまりはその時の風(ふう)を読んだ者が勝つのです。

 

また兵法においては、剣さばきの速さを重視するのは真の道ではないとも言っています。

早いというのは、物事の拍子(タイミング)にあっていないことだから「早きは、こける」という言葉があります。

何事も早くしようとすれば、拍子(タイミング)の間が合わず、はずれてしまう。

上手な人ほど、ゆっくりしていてしかも拍子(タイミング)をはずさない。相手が急いでいる時は、あえて静かに構えて、相手に引きずられないようにしなければいけない。

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五輪書の「空」の巻

第5は「空」である。空には奥もなければ、入り口も出口もない。何も無いのである。

兵法を確実に会得してゆき、突き詰めていった先には心の迷いを無くした状態がある。真の空が有ると知るべきだと言っています。

真の道を悟らぬうちは、人それぞれのかたよった見方によって真の道からははずれてゆくものである。

この事をよくわきまえた上で、まっすぐな精神を正しい道としようと締めくくっています。

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かなりの長文になりました。最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました😊。